鎌倉暮らし

日々、思うこと。絵封筒や読書の記録。ときどき、鎌倉のおすすめ情報など。

習わなかった交通ルール。私だったら どうする?

先日、鎌倉駅入口交差点で、とても興味深い光景に出くわしました。

そこは、鎌倉駅東口を出てすぐの、観光客も 地元の人も 大勢が利用する大きな交差点で、歩車分離式信号になっています。

その日、若宮大路由比ヶ浜方面に向けて 運転していた私。信号の少し手前で、背後から救急車の音がすることに気が付きました。細い道だらけの鎌倉では、緊急車両に道を譲ろうにも譲れない...ということもよくあるのですが、さすがに若宮大路ではそんなこともなく、どんどんサイレンの音が近づいてきます。私も、左車線の端に寄って一時停止しました。そして、救急車が 信号に差し掛かる直前、歩行者信号が青になったのです。

天気の良い日だったので、多くの歩行者が信号待ちをしていました。その歩行者たちが、どんな行動をとったかと言えば。

 ① 迷わず救急車に道を譲った(歩道に立ち止まったまま)= 少数派

 ② 救急車のために、ダッシュで信号を渡った = 少数派

 ③ 周りを見回してから、救急車に道を譲った = 多数派

 ④ 周りを見回してから、急いで信号を渡った = 多数派

この4パターンでした。(あ、あと3人組の女子高生が、「急いで渡るべき」か、「立ち止まるべき」かで意見が分かれたらしく、信号の真ん中で右往左往していましたね。彼女たち+③+④ のために、救急車はなかなか信号を通過できず、歩道に立ち止まった人たちは、次に歩行者信号が青になるまで待つ必要がありました。)

 

この反応、どれが正しいと思いますか?

 

日本の交通ルールでは、一般車両は 緊急車両(この場合はサイレンを鳴らしていた救急車)に道を譲らなければならない、とされています。免許を持っていれば、誰でも知っていることですね。つまり、緊急車両 > 一般車両

また、日本の交通ルールでは、自動車と歩行者では 歩行者優先、とされています。つまり、歩行者 > 自動車

この2つのルールを重ねれば、 歩行者 > 緊急車両 > 一般車両 となり、歩行者が一番優先されることに。しかも、歩行者用信号は青だった。つまり、べき論で言えば、歩行者が救急車に道を譲る必要はなかった のです。

...でも! と、思いませんか?

法律(交通ルール)は どうであれ、心情的には、救急車を少しでも早く行かせてあげたい、と思うのではないでしょうか?

そういう意味では、行動の違いこそあれ、①立ち止まった人 も ②急いで渡った人 も、同じ気持ちだったろうと想像します。だから、それよりも私が気になったのは、③と④のパターン。周りを見回してから 行動した人 の方です。そして、残念なことに、こちらが 圧倒的多数でした。

とっさの判断で、自発的に ①または②の行動をとった 少数派

とっさの判断が出来ず、周りを見回して、先に目についた行動(① or ②)に引きずられた 多数派

どちらでありたいですか? 私は、自発的に行動できる人でありたいと思います。でも、それって意外と大変なことかもしれませんね。何故なら、とっさの行動は 日々の何気ない思考の積み重ね だから。

教わったから 知ってる。教わらなかったから 知らない。

習ったから できる。習わなかったから できない。

みんながやるから やる。みんながやらないから やらない。

大人が口にしたら 「中二か?!」  「幼稚園児か?!」って 呆れられてしまうから、さすがに 口にはしない(と思う)けど、無意識のうちに こんな言い訳を自分に許してしまっていること...ありませんか? 魔が差したような こんな思考でさえも、自分の行動を作る要素になるんですね。

思考に気をつけなさい、それは いつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それは いつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それは いつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それは いつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それは いつか運命になるから。

これは マザー・テレサの言葉として有名ですが、同じような言葉は、 時代・人種を越えて残されています。本当に、日々の思考は 行動に、やがて 運命につながっていくのでしょうね。

周囲と足並みをそろえることが大切な場合もあるけれど、自分で考えて行動すること、自分の判断・行動に責任を持つこと のほうが、はるかに大切じゃないかと 改めて思った出来事でした。

自戒を込めて。

お題「今日の出来事」