鎌倉暮らし

日々、思うこと。絵封筒や読書の記録。ときどき、鎌倉のおすすめ情報など。

『同意しない』ことと『否定』は違う

一緒に暮らすパートナー以外の家族は、このブログの存在を知らない-
から書きますが、子供の頃から母親とはソリが会いません。
誰にでも(どこの家庭にも)あるようなことでしょうし、大人になって
離れて暮らすようになってしまえば、大した問題ではなくなるものですが。
相変わらず、私にとっては 小さな悩みの種であったりします。
私の勝手な思い込みではなくて、母も同じように感じているらしいです。
(と、妹から聞いています)
母が言うには、

 ○○(私のこと)は、私のことを嫌ってる
 私に対して、すごく冷たい

って...えーと。 随分とヒドイ言われようじゃないですか...
もちろん、嫌ってなんかいませんよ。(思春期じゃあるまいし)
まぁ、母も本気で言っているわけではない...はず。たぶん。
ふてくされているんだろうと思っています。
何故ならば、私がいつも自分の意見に同意しないから。
例えば、何かのことで

 「お母さんは (A)と 思うんだけど、○○はどう思う?」

と訊かれた場合。私が同意であれば問題なし。でも、たいていの場合は

 「私は (B)って思う。」
 「AかBか、正否をハッキリする必要があるなら、話し合おう。」
 「その必要がないなら、当事者の思うようにすればいいんじゃない?」

っていう感じになります。(プロセスは かなり省略してるけど)
                   ...このやり取りが、冷たいのかな?
で、母がだんだん不機嫌になっていく。
何故なら、母が欲しかったのは「そうだね。私もそう思うよ。」という同意
であって、話し合いやら、「思うようにすればいいんじゃない」というような
突き放した(?)言葉ではないから、なんですね。
子供の頃から、よく言われました。

  「我が家の娘なら、こう考えるべき。」
  「私の娘なら、こんなふうに判断すべき。」

娘は、自分と同じ価値観を持っているべき、という大前提。
私が母親と上手くいかなくなった最大の理由です。
確かに、母の意見に同意しないことが多い私ですが、決して突き放している
わけでも、否定しているわけでもありません
大切な人(母親)から意見を聞かれたから、正直に自分の意見を述べただけ。
他人の意見が必要なときもあると思うから、いろいろな人の意見を聴いた上で、
当事者(この場合は母親)が良いと思う方法を選択すればよい、と思うのです。
だから、ハッキリ自分の意見を言います。私なりの誠意です。
妹からは、「うわ~...毎回、真っ向勝負してるなんて、アタマ悪~。」と
笑われますが。
そりゃ、どうでもいい相手だったり、それこそどうでもいい話題なら、ごくごく
テキトーに相槌を打ったり、同意したりしますけどね。
うーん。否定なんて一切してないのに、なんで不機嫌になっちゃうかな~?
母親というのは、娘がいくつになっても、娘は自分の味方である と期待したい
もの...なのかもしれませんね。(母親になったことがないのでわかりませんが)
母の期待に添えない娘なりの、精一杯、好意的な理解です。

...が!

ふと周りを見回してみれば、理解しがたいこんな人、結構いませんか?

 同意されないと怒っちゃう

っていうタイプ。
...ナゼ、何の縁もない相手に 無条件同意 を期待するんでしょう?
全くもって、理解不能です。
世界中の人が自分と同じ意見だなんて、あるはずがないのに。

 自分の意見を否定されたと思ったの?
 意見じゃなくて、自分を人格否定されたように感違いしたのかな?
 相手の方が自分より賢いように感じて、劣等感を刺激された
 単にプライドが傷付いただけかな?

そんなのおかしいよね。相手は、こう言っているだけ。

 「あなたの意見と 私の意見は違う」

...うん。当然だよね。
違いがあることを個性というんじゃなかったっけ?
個性は大事、って耳にタコが出来るくらい聞かされてこなかった?
でも、自分と違う意見は認められない?聞く耳も持ちたくない?
う~ん...よく聴いて、正しく理解しようよ。

『同意しない』ことと『否定する』ことは違うよ

例えば、白黒ハッキリ付けなきゃいけないような、たった一つの正解を
求めるような場合であったら。
最初から自分以外の意見を無視していたら、議論は永遠に成立しないし、
正解に近付くことも出来ないですよね。

違いを認め合うことが、はじめの一歩。
同じことよりも、違いがあることを楽しめる人間でありたいですね。